昭和49年03月04日 朝の御理解



 御理解 第53節
 「信心すれば眼に見えるおかげより、眼に見えぬおかげが多い、知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、此れもおかげであったと、云う事がわかる様になる、そうなれば本当の信者じゃ。」

 お願いをするおかげを頂く、お礼を申し上げる、是でお終いになった様な感じの信心をする人がありますね、お願いをするおかげを頂く、お礼を申し上げる、そすっとそれで済んだ様に思う、それからの信心が大事、それからの信心が私は本当の信者だと、いわゆる本当と此処では真実と有りますね、いわゆる真の信心本当の信心。其処迄ならばあのー信心がなかっても、その位の事は誰でもあのう考えてますよ。お願いをする、おかげを頂くお礼を申しあげるね。
 だから信心はそれから先が、有り難いのです、それから先が本当の言わばおかげを頂くと云う事は、本当の信者だと言う事になるから、本当のおかげが付いて来るのです。お礼を申し上げるともうそれで済んだ様に、帳消しになった様に思う、それではねそれこそあれもおかげであった是もおかげであったと云う様な、信心は解りません、それから先を大事にする。
 いよいよ試験のシーズンですから、もうー本当に一生懸命でお願いをしよる、と合格致します、おかげを頂くお礼を申し上げる、それでお終いになる、其処からね其処からの信心の展開、こう言うおかげを頂いたおかげでね、今まで信心のなかった息子も信心する様になりましたとか、其処からいわゆる一段との、入学はしたけれども其れから先が返っておかげにならなかったらどうする、入学させて頂いたおかげで、其処からいよいよ本当のおかげを頂かなければならないでしょう。ね。
 おかげでお願いをしとりました、安産のおかげを頂きました、お礼参拝をさして貰うて生まれて、それから先がおかげを頂かんならんとです、それもお礼をいう心の信心を以て信心が進められて行く所から、いわゆる本当の、信心本当のおかげと云う事にもなるのです。一昨日か、ら昨日に掛けて、御理解の中に頂いとります。「或る日突然」或る日突然本当に、思いも掛けない様なおかげを頂いた。
 或る日突然びっくりする様なことが起りました、昨日私もお夢の中で、ある日突然と云った様な、若先生があのう刺されたと言うなね、お夢の中で。けどもおかげでそういうお知らせを頂いておりましたからもう本当に、本当にその場でお礼が云へれる様なおかげを頂いた、あれもおかげであった、此れもおかげであったと言う事はね、それこそ或る日突然どう言う事が起こって来ても、その時点で有り難しとお礼を申し上げる事なんです。是程信心するのに、どうしてこげな突然な事が起こってたじゃろうかと。
 言う様な事じゃないんですね、だからそこはしっかり信心の稽古をしておかねばなりません。この月次祭の夜、久留米の笠さんが月次祭に参って見えました、帰らせて頂いたらう自分方の近所は、消防車でいっぱい埋まっとった、何処が火事があったとじゃろうかと思うとったら、ほんな一軒おいて向こうが、丸焼けであった、それこそ家内が一人だもんですから、もうそれこそてんやわんや右往左往するばかりで、何一つ出しとらん、おかげでどうもする事はいらんじゃった、。
 もう貴方が居んなさらんもんじゃから、と、こげな時にね、笠さん嫁ごも一緒に信心しとると、お父さんが、合楽にお参りして頂いておる後の事だから、おかげになると云った様な、度胸も腹も出来るとじゃろうばって、日頃嫁ごはおかげは知っとるけど、信心の稽古をしとらんから、慌てんならん、まああんたとしては、慌てた、おかげで、無傷のおかげを頂いた訳なんですけれどね、と言うて言った事ですけども。もうその時点で、慌てんですむ、おかげと言う風に頂けれる。
 信心が私は力だと思うですね、是はね話を聞いただけじゃ解らん。昨夜幹三郎が当番で御祈念をして、皆さんに御理解を聞いて貰ってた、此処もう毎日親教会の御用で一生懸命なんです、昨日は報徳祭でもう終日あちらでおかげを頂いて、で帰って自分の当番の御祈念させて貰って、お話を聞いて頂いている中にね、本気でおかげを頂こうと、良い事を思うたらそりゃ人間ですからきつかっちゅう時もあるけども、その良い事でもういやが上にもさせにゃおかんさせにゃおかんと言う働きが始まると言う事を言ってます。
 私がもうそれこそぼつぼつ話しよりますから、此処から聞いとって、素晴らしいことを云っているなと思いました、もう絶対にそうです、だからねそう何時も良い事じゃからと云うて、嬉しうして有り難うして、出来る事ばっかりじゃないです、まあ今日だん良い事でも休もうかと言う時があるです、けれどもそれが一心発起しとるとですね、良い事がこう後押しをする様に、押し出す様に、良い事しなきゃ居られん事になって来る、させなさるです神様は。
 先日から、あちらの月次祭にお参りしたら、親先生が一日のあのうあれですで、幹ちゃん裏さんおいでち、お呼びだけん裏さへ行きました、したら、親先生が手紙が来とるとをちょっと読んで呉れと、この頃目が悪うあんなさるから、それから、読んで差し上げた、それ読んで差し上げた後に、まあ色々と、その話しておられるです、もう私は、今度親教会の、式年祭にゃ、もう全身全霊を打ち込んどると、幹ちゃん宜しく頼むよと云うて、その云はれた。
 だから、その時はえらい感動してからね、久留米の初代の、石橋松治郎先生が頼まれた様な気がしてから、もう本気で僕は今度、櫛原の記念祭には、打ち込まして頂こうと思う、と云うて帰ってから話しとりました。そう言う事を思はせて頂いたら、それからね、親教会の事を、せにゃおられん様な事が、次から次とその起きて来る、そげぇんと思うばってんその事がね、昨日も、御結界下がってからでした、今日は此処も神愛会ですけど、櫛原の方でも親愛会です。
 同んなじ日になりますから、此処はもう、何時も会費だけ納めて、御無礼してます。ところが最近その記念祭がありますから、その記念祭の事だけで、何時も会合があっておりますから、この前も幹三郎が代行して行きましたが、だからそげ言いましても、明日も又明日と云うか今日です、今日もなら行かなきゃならないと云う様にですね、久留米の事に懸かっとる、そげん懸かろうと思はんでん、掛けなならん様な働きが起きて来る、僕はその事が本当に不思議で有り難いと思うと云うて、自分も云っております。
 だからそれと反対にです、なら怠慢とかずるい事やら、こん位の事よか良かと思う事を考えるとです、こん位の事よか良かと、云わんならん様な事が、次々と起きて来ると云う様な事を云っておるんですね、信心させて頂く者はこりゃ心掛けですよ。ね。是は本当にそうですよ、昨日は帰らせて頂きましたら、秋永先生御夫妻で御礼に出て来てあった、それで丁度そこで、竹内先生方も夫婦で御礼に出て見えとった、それから丁度昨日は、お節句でも御座いますから。
 あのう若先生の部屋でお茶を差し上げたり、お神酒ども一献差し上げたりさして貰よる。善導寺からの頂いとりましたお直会のおご馳走でしよりましたから、ちった早い時間にこっちの方が酩酊しまい、で早く繁雄さんも居られましたから、早く寝ませて頂きました。それで五時過ぎ、もうやがて六時ちゅう位もあったでしょうか、何時もより遅かったですけど、それからお風呂に入ってそれから。
 久富先生帰っておられたから、御結界奉仕しょうと思って、お風呂に入っておる所へ妹がけたたましゅう、私が風呂に入ったとこへ云うて参りました、そしたら今あのう久留米の古賀新二さんから、電話が掛かってから、今あのう火事になっとるそうですから、あのう兎に角もうあそこは密集してますからね、密集ちゅうか、しかも焚きもんの様な家ばっかりある所なんです、ですからどうぞ類焼致しません様にお願いしますと云うお電話であった。あれがねもう本当にそれこそ。
 或る日突然と言った様なあの御理解を頂き、心の中に頂いている時ですから、もう心の中がもう微動だに致しませんですね。それからお風呂から上がって、すぐ此処へ付かせて頂いたらです、もう本当にそれこそ、福岡からもう一生懸命の思いで、とても今の頃行っても親先生にはお目には掛れんけれども今日はどうでも、お目に掛からねばならない事だから、どうぞ御結界に座っとって頂く様にと云うてから親子よ四人連が一生懸命の思いで参って来て、そこを明けながら私が座っとったもんだから感動してね。
 お父さんもお母さんも、おかげ頂いたお父さんおかげを頂きましたよと云うてから入って来ました、と云う様にですね。もうなら普通そうじゃないけれども、もうなら今朝御結界なら御結界、お取り次ぎならお取り次ぎ、人が助かるなら助かると言う事になら私が一生懸命と言うても、ならさあ寝とったり、風呂に入っとたりする時に、その言う風に思い続けておると言う事ではないですけどもね、そう言う助ける助かる働きと言う事の出来るその、様に環境がちゃんと出来とるです。
 それは私が一心発起して、言うならば私が此処で奉仕すると言う事がいうならば命の様に大事にしておるから、神様が、幹三郎のそうじゃないけれども、何時も追いやる様に追いやる様に、有り難い方へ、有り難い方へと、押しやっとって下さる、これはもういつの場合でもそれを感じます。したら丁度永瀬さん達が御夫婦で見えてから、古賀さん所へちょっとあちらから電話が掛かったお友達から、それで今から見に行きよりますからと言うて行かれました。
 御祈念が済んで、もう帰って来なさりそうなもんと話しよる所へ、又夫婦で帰って見えましてから、もう全勝ちゅたらもう本当に全焼何一つ出してない、けれどももう夫婦が喜んもう、おかげ頂いたと言っておる事は、もうそのあそこは三方がもうギッしりです。うしろは大きな田圃ですから何にも無いですけど、その両方三方がね、もう壁を焦した位で其処の古賀さんの家だけがまっ奇麗に全焼して、だから古賀さんがお願いした、お願いした事は、兎に角おかげですね。
 もうその時間に帰って来んのに帰って来た、帰って来たら家はもう打ち上げとったから、もういかんと思ってすぐお電話した、そして今私の方は焼けよりますけど今、類焼を免れます様にと言うのが願いであった。もう本当に類焼、もう普通で言うなら焼けんならん所が焼けとらん、と言う様に二十五分間燃え続けた相ですからね、もうあげなこっぱのごたる家ですからキレイに燃える筈です、何一つ出してない、けどもおかげでまあ怪我人もなしにおかげ頂いた。
 もう兎に角あの私共が行きましたから大変喜んでから、もうこげんおかげ頂いてから、親先生にあのう明日お礼に出るから宜しういうて託って、又此処に寄られました。まあ私は是は余談ですけれども、この頃二十八日の永瀬さん所の、宅祭りの時に夫婦が私がこっちに坐っとったり夫婦が参って来ました、そん時に私は顔見るなりに、あのう古賀さん造花を造るのが趣味なんですあっちの奥さんが、だからあの椿の花をね造ってくれと、あの山椿の花だよと云うて、申しましたですよ。
 それで昨日もう親先生からああ云はれておったから、早速今日はね、山椿の花を造りよったちゅう、と云うて云うたそうですがまあそれだけでも、おかげ頂くなと私思いましたけどね。今から考えて見ますと山椿じゃったとね、山と言う事は修行でしょ、椿と言う事は真っ赤、言わば火事の事を江戸の華と云う風に華と表現する位ですね。紅蓮の炎と申しますが、それを華に見立てた訳ですね。
 真紅な云うなら椿の花、私は是は皆さんも、私がまだかって、あれば造って呉れとかああして呉れとかあればどうち信者に頼んだ事は一ぺんもありません、まあ頼まんのが主義ですね、けどあん時に私があのー椿の花を造って呉れと言う、是は親先生が云いなさる時には、何でも迂闊な事は、されませんよと云うてから昨夜話した事でした。ね。是はそしてね、本当にはあ、お参りせんならんばってん。
 何となしにぐずぐず、何となしに怠慢の方に誘はれて、お参りが出来ないと言う時に、もう一つもう本当に何と云うですね、心に鞭打つて、そう言う時には、いよいよ、信心をさせて貰はねばいけない時ですね、何時も古賀さん達が、ほらあの、子供入学または就職まあ、それは、夫婦でほんに一生懸命お参りになる、寒修行なんかでも何時もお参りするのに、今年しゃ幾ら云うても参って来なかったですね。
 私は月次祭の時に頼む様に皆んなに云うたけども、参って来なかった、なら菊栄会の方達、正義先生やら文男先生どんが参らんでんおかげ頂くと云う信心ですけども、この人達の信心は、あんた達の信心と内容が違うと私が言うんですよね、だからなら文男さんやら、正義さんどんが本当にお日参りする様になった時が、あの人達の愈本なもんであって、それは一つの過程だ、それに其処迄も行っとらん者んがそれを真似する様な事、しかし本当に良か事は中々真似せんけど楽な方やらはねすぐ。
 所謂幹三郎じゃないばってん、そげな風に思うとね、そうして良かごたる風な働きが次々と起こって来るんです。それこそ信心させて頂くものは心掛けとしてね、ようと思うとかにゃいかんです、はあもう、はあ寒修行が始まっとるお参りせんならん、いいや知ってはおるばってん、何とはなしにお参りが出来ん様な事になってしまう、そして正義先生やら、文男先生ちゅう人達でちゃ、いっちょん参りならんけんで、しておかげ頂き御座るけんで自分な、風な考え方をする様になるです。
 よもやそう言う風に考えた訳でもなかろうけれども、まあ是は私が想像です。ね。けれどもお願いをさせて頂きよりましたら、まあ大変おかげ頂くあのう、まあ今度是を境におかげを頂くお知らせを次々と頂きましたし、ゆうべ最後のお届けの時なんかは、七年後が楽しみと仰る神様が、七年後まあそれまで勿論おかげ頂きましょうけれども、七年後に例えばこう云う様な、ああ云うまあ一生一代の中でこう云う大きな災難なら災難、難儀ちゅう無かろうと言う様な難儀に直面したが。
 そのおかげで七年後には此の様なおかげになったと云う様な、おかげになることでしょう。これからの信心によっては。楽しい事ですですからね、信心させて頂く者は、何処を、稽古させて貰わねばならんかと云うとね、お願いをするおかげを受ける、お礼を申し上げで、終わったと云う様な信心ではつまらんです、それからお願いする時以上の信心になって行かねば、そう云う信心をさせて頂いておるとです、もう間違いなしに、あれもおかげであったと解ることは勿論ですけども。
 これもおかげであったと、是もおかげであると、解る様な信心が出来て来るです。ね。或る日突然と云った様な事が起って参りましてもです、此処一両日はもうその親先生あんな御理解頂いたら、もう本当にびっくりする様な、或る日突然と云う様なお届けが幾らもありました。桜井先生なんかはあの、高い建物のビルの仕事をなさって居られますが、上の方から、もうゴミ屑やらがこう下に居らんと思うてから捨てたげなけん、頭の上からこ一杯ゴミ被っとんなさる。
 普通なら私が居るですがち云うちから、まあ云た所じゃろうばってん或る日突然、或る日突然で有り難く受けたち昨日言うとられました。ね。高橋さん所なんかは宮崎の方のお店に爆弾しかけた、大騒動した、それこそ或る日突然、おかげで未然のおかげを頂きましたけどね、と云う様にですね、例えばその時点でおかげと頂けれるね、言わばおかげを頂く事がそれもおかげね、あれもおかげ是もおかげと云う事が解る様になれば、真実本当の信者だとこう仰せられます。
 なら本当の信者と、云う事の為にはです、今日私が申しますねお礼の信心、願うおかげを受ける、お礼を申し上げた、それで、お礼の信心が済んだかと思うとる、そのお礼の信心を、お礼を申し上げるその後がね、そのお礼の心で、信心が続けられなければいけない、お礼の信心でいはば信心が続くから、それは、いよいよ是は本当なものです、だから幹三郎じゃないけど、お礼を申し上げねばならん様な事が、もう予期しないで、次から次とおかげ頂いて来る。ね。
 病気は治りましたけれども、後がおかげにならんね入学はしましたけれども、後が続かんね、と云う様な事になっては詰らんでしょう、私が其処ん所の、云うならばおかげを頂いた、お礼を申し上げた、それから先の信心が、私は続かせて頂く様な信心を真の信心と思います、又はそう言う信心を身に付けて行くから、真の信者と言う事になります、そう言う信心をしておると。
 例えば笠さん所の私が笠さんに話した様にね、あんた家の家内が、信心がちっと出来ると、今日お父さんがお参りしとる間にこう言う事が起こっとる、是はもうおかげになると、確信が出来る様なおかげを頂かれるばってん、只うろうろするだけと云った様な事になるのだ、それでは力にもならなければ、信心しとる値打ちもないじゃない。ね。こんな事で突発的な事でしたけれども、こげん落ち着いて、こんなおかげを頂きましたと、云う様な、おかげを頂いてこそ、信心の力と云う事が。
 そう言う場合に発揮される訳ですよね、信心しよれば目に視えるおかげより、目に見えぬおかげが多い、それこそおかげは筆にも口にも尽くされん程のおかげがあるのだけれども私共では解らん、信心とはその目に見えない、筆にも口にも尽くされない程しのおかげをです、それを本当にそうだなと、目に見えない所のおかげの言うなら分野と言う物が、おかげに変って行く、所謂おかげと感じれる様になる言う事が、信心だとも言われますですね。
   どうぞ。